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November 23, 2007

何かを作りたいという欲

昔大学の教授が理系の人には作りたいものが決まってから必要な技術を極めていくタイプと技術を極めてからその技術を何に使うか考えるタイプの2通りの人間がいるみたいな話をしていたことがあった。
僕自身は前者のタイプで例えばゲームを作りたいからプログラミング始めただけでプログラミングに対してそれほど興味はなく道具として使えればいいなという感じで、ケータイでゲームを作りたいと思ったときはJAVAを勉強したし多くの人に気軽にゲームをプレイしてもらいたいと思ったからFLASHのAS学んだりした。だから高校のころは何に使えるのかよくわからない数学はあまり好きになれなくて点数も悪かった。大学に入ってからは微積も行列も、何に使うのかまったく分からなかった複素数ですら意味のないもではなくて普通に必要なものだと分かり数学者すげーなと思うようになった。たぶん数学者は後者の方が多いと思うので本当は後者の人をリスペクトすべきなんだけど技術大好き型プログラマーはなぜか好きになれないのはなんだろうなということを考えたりするんだけどうまく答えでない。ああ、数学関係ない系プログラマーが尊敬できないって言えばいいだけなのか。数学関係ない系のプログラムは正しい日本語をしゃべらなきゃ駄目だよっていう人のウザさがあるっていうか。難しい数学を理解してそれを使って作ってるプログラマは尊敬してるのかなるほど。適当に実験をしていたら新しい物質を偶然発見して有名になった化学者とかはまた話が別か。

話し飛んで、僕は数学できる以外にも論理的に話すこと=正義だと思っているんだけど、自分でも適当にアウトプットしている最中には気づかないけどあとで見返すと非論理的な部分があるので嫌になる。上の文章では”数学者は後者の方が多いと思うので本当は後者の人をリスペクトすべきなんだけど”とかか。でも話している途中で非論理的な部分を見つけたときに話すのをやめるとそれが正しいとした前提で後で話そうとしている部分が話せなくなるので困る。あとコミュニケーションは非論理的な部分から始まったりするので面倒だ。間違った言動に対してつっこむ事から始まるコミュニケーションはいいけど非論理的な言動に突っ込むこと始まるコミュニケーションは嫌だ。でもそれを区別するのは難しいか。

で、ブログで、自分の思っていることを書こうと思って書き始めたら自分の論理的じゃない部分が見つかってそれを修正していると気がついたらタイトルとまったく関係ない内容になったりする。このエントリみたいに。言語はシングルタスクすぎて困る。もっとマルチタスクにできないのかな。
たとえばニュートンがりんごが落下したのを見て万有引力を発見したっていう話をしようしたときに、
ニュートン→りんご→りんごの落下→万有引力
って攻めるべきなのに途中にりんごの話の途中におなかが減って
ニュートン→りんご→りんご食いたい→りんごで思い出したけどiPhone買った→iPhoneを見せびらかせようとしたら落とした→万有引力
って攻め方に無理やりずれるときがあったとしてそれはどういう風に文章にすればいいのかというかなんというか。たとえが悪いな。
 
とまぁ今日はほとんど見直しをしないで書いたわけだけどすごく気持ちの悪い文章になった。言いたいこともいえないこんな世の中じゃひとつの文章にまとめるのはポイズンなので、無理やりひとつの文章にしないで箇条書きにしたほうがよさそうだ。

タイトルにある何かを作りたいという欲の話をまったく書いていないけどそれはまた今度気が向いたときに。

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